このページはPI-Forumとして活動していた頃のウェブサイトをアーカイブしたものです。

現在、同法人は democracy design lab. と名称を変更し活動しております。

Home | 組織情報 | 活動情報 | サイト検索 | 連絡先 | ENGLISH

[ インタビュー企画に戻る ]

インタビュー企画「PI−Forumの会員ご紹介」
第1回:佐藤美奈子氏

1960年生まれ。
青年海外協力隊、JICA専門家に従事した後、ロンドン大で開発学と社会開発計画の修士号を取得。1995年より(株)オリエンタルコンサルタンツ勤務。カンボジアなど様々な発展途上国で、開発調査やプロジェクト支援など幅広く活動を続けている。

佐藤美奈子

■開発コンサルタントという仕事

――佐藤さんのお仕事について教えてください。
私は、社会開発のコンサルタントを20年やっています。色々な仕事をやっていますが主として、発展途上国における道路・灌漑施設・橋梁などの大型インフラ整備プロジェクトに対する環境影響評価(EIA: Environmental Impact Assessment)や、社会経済調査を行っています。2、3年前からは、社会影響評価(SIA: Social Impact Assessment)もEIAの中に必ず含まれることになってきているので、合わせて行っています。これらは、インフラ整備が環境なり社会環境なりにどのような影響を及ぼすかを調査・分析し、その負の影響をできるだけ緩和するように、さまざまなアイデアを計画や設計に反映させる仕事です。
例えば、道路建設では、道路・地質・交通・エコノミスト等といった専門家と一緒になって、環境面と社会面との両方から事前評価を行い、道路の路線を選定していきます。そして、選定された路線に対し本格的な環境影響評価を行った後、その結果を元に、負の影響を緩和するよう設計に反映させます。例えば道路を通す地域に小動物がいるならば、その道路の下に獣道をつけたりします。また、コミュニティの動態が分断されるようならば、必要な箇所にサービスロードをつけたりします。
社会影響評価では、住民移転が一番大きな問題です。土地収用にかかる費用、地域間のつながりやコミュニティを分断・崩壊させることに対する社会的費用、移転先で生じる社会的費用、病院や学校などの社会的サービスへのアクセスが断たれることによる費用、将来の収入と現状との差分などをすべて割り出して、貨幣価値に換算します。そして、補償のパッケージ案(compensation package)を作成していきます。現在と同じかそれ以上のレベルの生活を送れるようにするのが現在の世界基準です。
開発コンサルタントとしては、発展途上国の政府と一緒に補償パッケージを作ることが仕事ですが、これは、必ず住民参加型で行わなければなりません。その他、学校の建設や貧困削減計画などでも、住民の意見を取り入れて、彼らのニーズを最も満たすように計画をつくっています。このような住民参加型の調査、計画、設計の方法は我々の間ではコミュニティ・パーティシペーション(community participation)と呼ばれています。PI-ForumはPIに3つの意味(パブリック・インボルブメント、パブリック・イニシアチブ、パートナーシップ・インキュベーション)を持たせていますが、コミュニティ・パーティシペーションは、これらの意味を包含するものだと考えています。

■「コミュニティ・パーティシペーション」誕生の歴史〜戦後復興と世界銀行の学習

――コミュニティ・パーティシペーションはどのようにして誕生したのですか?
戦後復興の時代、世界銀行が中心となって、大型インフラの整備を行っていました。日本の場合は、コロンボプランの中で、賠償を経済援助という形にすり替えて行ったのが、現在の開発援助の始まりです。
この頃は、経済効果だけを考えてインフラ整備を行っていました。経済効果さえあがるならば、移転する住民には何の補償もせず、環境的な配慮もせずに、事業が行われたのです。しかし、大きな失敗を経験します。特に、大きかったのはイギリスが行ったスリランカのヴィクトリアダムの建設と、世界銀行が行ったインドのナルマダダムの建設です。環境の破壊、住民の貧困といった、大きな負の効果が生まれました。
そして、こういったプロジェクトに対する反対運動の中で、環境NGOなどが生まれてきました。事業に対してボイコットやテロが起こるようにもなり、政治的な問題にも発展しました。プロジェクトは中止され、それまでに費やしたお金が無駄にもなりました。ナルマダダムの建設は中止されましたが、その頃から世界銀行が問題に気づきはじめました。世界銀行の良いところは、自分たちのやり方が失敗したとわかったら、直ちに第三者評価を行い、ディスカッション・ペーパーなどを作成してレビューし、改善していくところです。
まず環境に対する負荷を軽減しようということになり、環境影響評価が始まりました。そして10数年前から、経済や環境に対してだけではなく、住民にあたえる社会的な影響が非常に大きいこと気づき、ここ数年で本格的に社会影響評価が始まったのです。また、住民の合意形成の重要性にも気づきました。合意形成がなされなければ、多大な投資をしても事業が潰れてしまうことがあるのですから。

――コミュニティ・パーティシペーション導入の支援はどのように行うのですか?
世界銀行でもアジア開発銀行でもそうですが、融資の際には、これを遵守すればお金を貸しますよという条件(conditionality)をつけます。その条件として、環境アセスメントがありましたので、良くも悪くも世界銀行が環境アセスメントを各国に課したことになります。このため、各国は法律を作らなければならないし、それを実施できるよう専門機関も作り、職員の研修も行わねばなりません。あまりやりたくはないことですが、外圧によって、初めてその国に法律なり実施体制なりができていきます。もちろん、世界銀行はそのための技術協力、つまり専門家を出して制度や法律を整備したりする援助を行います。しかし、未だにそのような制度が整備されている国は数多くありません。
そのような法律や制度が整備されていない国での私たちの仕事は、非常に危険です。プロジェクトで利益を得る人もいれば、不利益を被る人もいますし、政治的な対立や宗教的な対立もあります。その中に、外国人が入っていくのですから。本来は地域のコンサルタントが行うべきことなのでしょうが、そういうノウハウがないところでは、実施体制の整備や人材養成も私たちの重要な仕事です。環境影響評価制度を実施できるように、政府や地域コンサルタントに対する能力開発をするようにしています。
コミュニティ・パーティシペーションには、さまざまなレベルがあり、そのレベルによって、私たちの関わり方は変わってきます。すでに経験のあるところでは楽ですし、法律がなかったところでは法律やガイドラインを作ることの手助けから入らねばなりません。住民、あるいはステークホルダー(そのプロジェクトの利害関係者すべて)が、これらの事柄に対して全く無知であるから啓蒙しようという発想は偽りです。その人たちがもともと保有している力、もともとその土地にあった技術や合意形成方式(Indigenous Knowledge, Decision Making Process)を最大限に利用して、その整備を進めるという意味のエンパワーメントを行います。私たちの役割は、相手に応じて様々です。それぞれの国の社会的・文化的背景を考慮しながら取り組んでいかねばならないというのが私の信念ですね。

■「コミュニティ・パーティシペーション」の実践

――諸外国では、どのように進められているのですか?
パキスタンやスリランカでは、住民参加による灌漑施設整備がものすごく発達しています。整備に際しては、政府がコンサルタントや専門家をきちんと雇って調査をし、調査結果はすべて公表し、住民に意義を問います。環境影響評価や社会影響評価の結果はすべて公開しています。当たり前のことのように住民が建設省や環境省にインフラ整備計画案を見にきて、それに意見を言っていきます。住民の権利なのです。
コミュニティ・パーティシペーションという、理論的な考え方の歴史はまだ浅いですが、世界銀行の果たした役割は大きいですね。理論的に考え方をきちんとまとめたのは世界銀行です。ぜひ、コミュニティ・パーティシペーションに関する世界銀行のワーキングペーパーも関連文書としてお読みください。そこでは、コミュニティ・パーティシペーションを段階的に規定しています。利用する人がお金を負担するユーザー・チャージ(user charge)からプランニングへの参加まで、細かな段階に分かれています。
ユーザー・チャージは住民参加ではないと批判する人もいますが、私はそうは思いません。例えば、途上国では、学校のメンテナンスは住民、コミュニティやPTAが行います。自分たちのコミュニティの学校は自分たちがお金や労働力を提供して維持管理をして子供たちを良い学校に行かせる、これも住民参加でしょう。発展途上国には、子どもたちに教育機会を与えて貧困から抜け出そうとする高いニーズがあります。何とかして学校をつくり、よりよい教育を施して、子供達にこの貧困を味わわせたくないという親の強い気持ちがありますから、日本よりも参加に積極的ですよ。

――住民との対話はどのように行うのですか?
参加型の調査やプラニング、グループインタビューなど、手法はたくさんあります。おのおのの活動には制約があってそれ以上のことはできませんという説明は最初に必ずしておきます。これは、参加者に多大な期待を持たせないためです。この期待が高くなると後で必ず、大きな問題に発展します。ただ、その制約の中でベストのものを選びましょうと、話し合いを何回も何回も繰り返していくのです。議論をしてもらって、まとまるときもあれば、逆に意見が分かれてしまうこともあります。例えば、こういう井戸がほしいと言う意見がありましたが、実際には費用が限られていますとか、地形や技術的な理由でそれはできませんと、そういった対話を繰り返すのです。それをそのまま報告書に書き、住民や行政に報告します。
私たちの仕事は、予算や技術的な問題などの条件があるという事実を伝えることと、そのうえで選択肢を示すことです。選択肢の中で、一番良いと思う案も提案します。そこから、住民の話し合いが始まります。ただ、最終的に決めるのは住民や相手国政府で、私たちはあくまで中立的に話し合いのプロセスに関与するメディエーターです。一般にはこのように合意形成をしていきます。もちろん不満は残ります。ただ、自分は満足できないけれどもみんなの言うことも分かるといって、ある程度は納得してもらえます。そこまで何度も何度も話し合いをするのです。

――実際にはどのように社会影響を評価するのですか? 難しいと思うのですが・・・。
完璧な手法というものは、まだ確立されていません。やり方はいろいろありますが、機会費用(opportunity cost)の算定を参考にするのが現在では一般的になっています。お店を経営している人がいるとして、移転先ではどれだけ稼げるか。それを、立地条件や移転先の購買層、市場などを調査して定量的に割り出します。我々はすべて定量化して評価することが要求されます。なぜなら、定性的な評価をいくら示されても、資金を融資する側、援助する側は判断できないからです。だから融資の判断材料になるように、無理をしてでも定量化が求められるのです。
数字は作ります。全ては仮説に基づいて数値が算出されているのですが、その仮説自体が仮説ですから。例えば、バイパスを作ってどれだけ環境負荷が低減されるかを予測するとしましょう。一般には、各国には車両の大きさや車種等から出される廃棄ガスの基準が決まっています。これを、エミッションファクターと呼びます。しかし、このエミッションファクターを定めている国はまだまだ多くありません。したがって、統計的な手法をとって、何箇所かで例えばCO2を測定して、その箇所の交通量を元に、バイパスが作られた後の交通量の変化によって統計的手法で、排気ガスの増減を予測したりします。交通需要予測にしても、これは、人間は最も合理的にルートを選ぶという理論を想定して、その手法が作られていますが、例えば、政治・宗教的な理由や、病院や学校の送迎などの事情があるので、あえて、便利でもその新道を使用しない、というような、需要予測の結果通りには必ずしもいかない結果がでたりします。正確な予測は誰にもできないのです。これは、今の社会科学の限界です。様々な人が様々なモデルを作っていますが、それは必ずしも現実に沿うものではありません。 だから、そのときそのときで工夫をしていかねばならないし、勉強も続けなければいけません。

――完璧ではない定量的な評価結果を、住民参加の中でどう利用しているでしょうか?
政府でもメディエーターでもコンサルタントでも、プロとして絶対にやってはいけないのは相手を不安にさせることです。住民に不安な姿をみせてはいけません。「この数値は必ずしも正しいとは限りません、実は・・・」、とは決して言いません。もちろん、その時点でのベストを尽くして算出した数値なのですから、そのまま住民に提示します。ところが、字が読めない住民の人からでも、「交通需要予測では、新しい道を作ったら多くの車がそちらを通るようになっているけど、この地域には学校があって子どもの送り迎えがあるから、新しく道路が建設されても私はこの道を通らないわ」というような意見が出てきます。このように住民から出てきた意見をその後そのまま報告書にまとめ、機会費用をどう考えるかと行政機関と検討するようにしています。

■ 仕事への思い

青年海外協力隊に参加しましたが、あの頃は国際協力と思って参加している人は少なかったですね。私もただ南米に行ってみたかっただけです。開発学を学びにイギリスに留学したのも、今後開発の道で生きていくのであれば、修士号くらいはとっておいたほうがいい、とJICAの人に言われ、試験を受けたら受かってしまったからです。本当は雑貨屋さんになりたくて、今でもやめたいと思いながら仕事をしています(笑)。でも、仕事をやっていくうちに矛盾点がたくさん見えてきました。ここはこうした方がいいのになと思ったら、相手が大臣だろうが大使だろうが、意見を言いに行きます。住民はいらないと言っています、私の調査結果ではこうですよと。そうすると話を聞いてくれるようになるのです。
開発というのは必要悪だと思っています。そんなことしなくても人はそれぞれ幸せに生きています。道路なんかなくても、ダムなんかなくても生きているし、死ぬ人は死にます。開発をすることによって負の影響を受けている人は、とても多いのです。コンサルタントという立場で仕事をするときには、「プロジェクトありき」で始まるのは仕方がありません。ただ、どうせそのプロジェクトをやるなら、それを良いプロジェクトにしたい。そのために私は調査をし、ステークホルダー、つまり住民や役人等のあらゆる関係者のニーズを把握し、全部をかなえることはできないけれども、その中でベストな選択ができるようにと思って仕事しています。

■ 日本独自のPIへの期待

――日本の住民参加については、どのようにお考えですか?
日本では、コミュニティ・パーティシペーションがなかなかできていませんでした。しかし、長良川河口堰の建設など様々な環境問題から始まって、インフラ整備に住民が意見を言うようになってきましたし、反対運動が起こってプロジェクトが頓挫するようにもなってきました。ようやく10年前くらいから、住民参加が重要視されるようになってきたといえます。環境影響評価についても、日本ではまだ始まったばかりですよね。
しかし、歴史を調べていくと、日本には大型インフラ整備時に日本独自の土地収用のやり方、移転させられる人々との合意形成の方法があったことがわかります。今はもう改編された組織ですけど、農林水産省の構造改善局など、ダム等を作るときには、役人が一升瓶を持って移転対象住民の家を一軒一軒まわって、何年も何年もかけて良い人間関係を作って買収の合意を取り付けていったのです。
しかし、そういうやり方が通用しなくなってきました。プロジェクトサイクルが長くなってコストが高くなりますから。全員の説得に必ずしも成功するわけでもありませんし、反対などでプロジェクトが頓挫することもでてきています。もう少し効率的に住民移転や土地収用を進めて、コストを削減しようということになって、住民を巻き込んでプロジェクトをやっていきたいというのが、10年ほど前から建設省でもでてきました。ちょうどそのころ、当時の建設省の方から、住民参加・PIのやり方がわからないという相談を受けたことがあります。

――どのように変えていったらよいのでしょうか?
まず、日本で何をやっているかを把握したいと思っています。どう変えるかを考えるには、まずは現状を知ること。日本の現状を知ろうと、多くの本を読みましたし、実際に活動している方の話を聞きにいったりしました。今は日本で大規模公共事業を担当している国土交通省や農林水産省の方に話が聞きたいですね。どうやって住民を参加させていこうと考えていらっしゃるのですかと。
日本は、役人主導でコンサルタントの位置づけが諸外国よりも低いと言われています。外国では、コンサルタントが政府と住民の間に入って、メディエーター的に仕事をしていますが、日本ではコンサルタントは設計屋的な扱いをされていて、提言してもなかなか聞いていただけないのが現状ではないでしょうか。それについては国土交通省の方も気づきはじめており、道路設計仕様書にがんじがらめにそってやらなければならないのか、それともコンサルタントなどの考えを取り入れながら設計できるのか、諸外国の実態を調査しているところです。我が社でも日本のコンサルタントの今後のあり方について研究していますよ。
今後は、まず我々がメディエーターになれるように技術や方法論などをきちんと身につけていきたいですね。そして、我々がメディエーターとして活動できるように制度を変えていきたいと思っています。
私は社会人類学者(social anthropologist)なんです。その国の考え方や文化にあったコミュニティ・パーティシペーションのやり方があり、それを尊重して実施するというのが私の主義です。ですから、ただやみくもに欧米のPIのシステムを持ってくることには反対です。日本には日本にあったやり方があると思います。それをふまえて、これからはプロジェクトの上流の段階からどうやって市民を巻き込むか、日本にあったやり方を考えたいですね。20年間諸外国で実践してきたことが日本に活かせないかなと考えています。

■ PI-Forumへの期待

まず、PIに関して日本で何が起きているのか、どのような住民参加が試みられているのか、できるだけたくさんの情報を知りたいですね。もう一つは、日本のコミュニティ・パーティシペーションの歴史についての研究でしょうか。それとともに、欧米のPIについての研究をして情報を発信していただけたらと思います。また、それらを総合した上で、日本ではどのようなPIのあり方がいいのかを研究し、提言し、実践し、伝承していくことが、PI-Forumのミッションだと思いますし、PI-Forumに期待していることです。
私の後輩達もPI-Forumが開催するセミナーなどに参加したがっていますし、みんな高い勉強意欲を持っています。PIに関する研修のニーズはあると思います。そのニーズをきちんと把握して、そのニーズにあったものが様々な立場の方々に提供できるように、PI-Forumの中でもPIが行われるといいですね。研究者や専門用語がわかる人だけでなく、もっと一般の人が入れるようなNPOになったらいいなと思います。

■ 皆さんへのメッセージ

コミュニティ・パーティシペーションのやり方は数限りなくありますので、その場その場で臨機応変に考えて実行することがわれわれの仕事になります。利害関係者のニーズを掴み、どうすればいいのかを利害関係者の方々と一緒に考えます。だから、こんなときはこうするという決め付け型の方法論に依存することには反対です。自分が一番それを強く学んだのは、英国ブライトンのサセックス大学のロバート・チェンバース先生からですね。
ロバート・チェンバース先生は、「参加型」の考え方、手法の神様的存在の方ですが、先生はある講義の最後に、一冊の本を手にとって、こうおっしゃいました。「私の体験してきたこと、研究してきたことは、すべてこの本に書いてあります。この本さえ見れば全部わかります」。会場の人はみなそれを欲しがって、それはどこで手に入るのですかと尋ねました。すると、チェンバース先生はニッコリ笑って、その本を手にとってパラパラとめくりました。中はただの白紙でした。そして先生は、こうおっしゃいました。「手法ややり方は、君たちがそのときその場で考えるんだ。そこには、何の鉄則も規則も方法もモデルも何もないんだ。ゼロから考えるのが君たちの仕事なんだ。」
とにかく試行錯誤することです。悩むより、やることが大切。やって失敗して、失敗したら次の方法を考える、その連続。そうするうちに、前の経験が次に活かされて、自分の応用力も増していきます。自分はこの仕事をやって、人を助けたと思ったことは一度もありません。むしろ人に助けられてきました。住民の声を聞いて多くの人と話をして、学んできました。どぶろくを出されればそれを飲み、同じ服を着て、おなかを壊しても出されたものを全部食べて、彼らの目線にたち、学んできました。
日本には日本のやり方があります。役人が一升瓶を片手に一軒一軒まわるのも、一つの立派な手法です。それはものすごく時間がかかるかもしれないけれども、何年も何年もかけて土地を買収してきました。そういう文化や慣習を無視して、討論が苦手な日本人相手に、いきなり、グループ討論しましょうと言ったって無理でしょう。日本にあったやり方を考えていくこと。それが私たちプロの仕事であり、PI-Forumの一番のミッションではないでしょうか。
今日お話したことは自分の経験の氷山の一角にすぎません。どうか私のことをベテランとは思わないでください。やればやるほど自分の未熟さを感じます。それだけこの分野は奥が深いのです。毎回のプロジェクトを謙虚にやっていくことが大事。どこまでも終わりはありません。

(執筆者:飯島裕希、水谷香織、今井路子)

(2004年9月16日発行 PI-Forumメールマガジンより)


 

[ インタビュー企画に戻る ]