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インタビュー企画「PI実践者インタビュー」
第1回:中島慶二氏
自然公園整備におけるPIの取り組み・長崎県九十九島を中心に

昭和34年福岡県久留米市生まれ
京都大学農学部林学科卒。昭和59年環境庁入庁、その後日光、尾瀬、阿蘇、大雪山で国立公園管理、本庁国立公園課、計画課、長崎県自然保護課長などを経て、現在、環境省自然環境局総務課自然ふれあい推進室室長。

中島慶二

■ 自然公園のレンジャーという仕事「保全か利用か」

――中島さんのお仕事についてお話しください。
私は技術系の行政官(技官)として環境省に入りまして、ずっと自然保護関係の仕事をしてきました。大学は農学部の林学科で、造園学を専攻していましたが、ほとんど行かずに山登りばかりしていました。子供の頃から自然が好きで、山が好きで、鳥が好きで…自然を守る仕事がしたいと思っていたということもあって、環境省のレンジャーになりました。生まれは福岡の久留米市ですが、子供の時に東京の郊外、福生市に移りました。その当時は田んぼもありましたし、近所の多摩川の合流点には鳥がいっぱいいまして、自然に親しんで過ごしてきました。

――レンジャーというのはどんなお仕事なのでしょうか?
 自然保護の仕事をやりたいと思って環境省に入ってレンジャーになったわけです。いわゆるレンジャーという仕事は、本省と、地方の現場の事務所とを行ったり来たりします。仕事内容は国立公園の許認可についてが中心でした。許認可というのは、「自然公園法」という法律が国立公園、国定公園、自然公園の保護と利用について規定しているのですが、その中で自然公園の保護を担保している制度上の規制について調整する仕事です。例えば木を切ったり色んなものをつくったりという自然を改変する行為を国立公園の中では一律に禁止していまして、それを認めるかどうかはケースバイケースで判断していきます。「自然保護と地域振興」とか「財産権の保護」とか、そういう調整をきちんとはかっていかねばなりません。許可制度ですから、自然に対してあまり影響のない行為は極力認めて行くような形で調整をとっています。「国立公園」というのは誰が土地を持っているのか、ということには全く関係なく、自然景観の優れているところを保護、利用する制度です。実際、その現場に線が引かれているわけではなくて、範囲が指定されているだけです。  その中でどんな規制をしていくかというのは公園計画の中で細かく決まっていて、保護計画、利用計画で地域ごとに決まっています。例えば「特別保護地区」は非常に厳しい規制をかけていて、殆ど人為的な行為を認めていません。もう少し麓に行くと、第二種、第三種特別地域になりますが、ここは人の生活と重複する範囲になります。こういうところでは「自然景観も維持するけれど、人為的行為と調整していこう、両立させよう」というのが基本的な方針です。
 こういう仕事が地域社会にどう作用しているか、というと複雑です。指定を受けている地域は、大抵農林業が疲弊しているので「観光開発でなんとかやっていきたい」という声があがるんですね。そこに対して、環境省が自然保護を前面に打ち出して立ちふさがる、という構造になってしまいます。だから地域にとってみると、現場にいるレンジャーは「目の上のたんこぶ」みたいな存在なんですね。
 基本的には対立構造にあるけれども、ほんとにそれでいいのかというのが、私がレンジャーの仕事を通じて思ったことです。

■ 地域の住民の理解と協力が必要

レンジャーは外から来てああだこうだと法律に定められた権限を行使している人間ですから、その連中だけで自然保護をしようと思っても無理だと感じたんですね。最終的には、地域の人が国立公園の価値を正確に理解して、地域の人みずからが守って行く方向に持って行かなければ、残って行かないだろう、と。つまり、国が国立公園を指定しても、あまりにその地域の活動を圧迫してしまったら、「指定を返上します」という声が出て来る可能性もあるわけです。だから、我々が地域の人と連携をとって行かなければと思いました。
 レンジャーの最前線では、許認可の書類を持って来る地元の人と話します。そこで地元の方が「あんなことしたい」「こんなことしたい」と色んな夢を話されるのに対して、こちらは「法律で一律に決められているから」とダメなことを指摘して、相手の描いている夢をどんどん縮小させていくことになります。それは個人的にすごく嫌なんです(笑)。自然保護は、ほんとうは地域の人に恨まれる仕事じゃないはずだと思っています。自然が豊かに残っていることが、地域の魅力をつくっているのだし、本当は対立しないはずだという信念があり、一生懸命理解してもらおうとはしたのですが、やっぱり経済的に疲弊している地域の人からみれば「明日のまんまが食えないのに」とせっぱつまっているわけで、噛み合ない訳です。これは今でもレンジャーの悩みだと思います。ただ、少しずつ地域の人たちも変わって来ているので、昔のようにただ対立しているという構造だけではなく、色んな立場の方が出て来てやりやすくなってきてはいます。
 それから、地域社会の知らないところで自然破壊が行われていることも実は多いんです。例えばダムを山奥に作るとなると、地域社会にとってその山奥が無視されているところであれば、当然無関心ですから、知らない間に自然は破壊されていきます。ダム造成にも災害防止といった公益があるわけですから、ただ自然保護というだけでは事業を止められません。こういう場面でも、もっともっと地域の人たちが自然の改変に関心をもって欲しいと思っています。

――現在はどんなお仕事に取り組まれているのでしょうか?
現在はエコツーリズムに取り組んでいます。小池大臣のイニシアティブで2003年から始まり、推進会議と幹事会とを開催して、推進方策をまとめました。環境省としても課題として10年前から取り組んでいたのですが、予算も少なく細々と調査的なことをやっていただけで、大きなうねりにはなっていませんでした。公務員は、自分で望んで仕事を選ぶということはほとんどできないのですが、エコツーリズムは、元々私が抱いていた「地域住民の人たちが自然を大切にしないと自然保護なんてできない」という問題意識にぴったり合っているんです。自然を地域の人たちに「宝」と思ってもらう為に、上手い仕組みをつくれればと思っています。つまり、自然があることで経済的利益に繋がって、また大切にする気持ちも育む、というものですね。

■ 北海道での経験「今で言うPIを実践していた?」

――中島さんのPIのご経験をお話しください。
私は平成4年から6年までの3年間、大雪山国立公園に赴任していました。そこに層雲峡という、環境省が土地の所有者で、利用施設が集積している場所があるのですが、商店街がシャッター街化して、ゴーストタウンになっていたんです。で、残った人たちから「このままじゃ共倒れになるから、なんとか再開発したい」という話がありまして、深く関わることになりました。みんなをおだてたり、尻をたたいたりしながら、基本計画から竣工まで、レンジャーでいうと4代、10年くらいかかって再開発が実行されたんです。最終的には良い形でできました。
 その時、毎月のように地域の人たちや上川町の役場、レンジャー、コンサルタントの4者で話をした経験が自分の中で今思えば「PIっぽい」なと(笑)。この時、関心のある人たちだけで集まって話しても後でその場にいなかった人たちが不平を言うことになるから、最初のワークショップの時に「必ず毎回全員出て来て下さい、そうでないと前に進まないです、出て来ずに後で文句いっても知りませんよ」と言いました。皆さんの危機感も強かったので、みんなよく出て来てくれました。そのうち友達のような関係になって、対立ということではなくて、同じ目的を共有する仲間のようになりました。
 環境省の立場としては割と楽でした。そこは既に開発された地域だったので、原生自然を守るといった自然保護上の問題は少なく、むしろデザインコンセプトがまちまちの建物を一気に変えられれば綺麗な町並みになって国立公園の利用拠点として望ましいと考えていました。難しかったのは民間個人の方たちです。銀行から多額の借金をしてやりくりしなければならなかったのです。
事業のスキームとしては国土交通省の「まちづくり補助金」を利用しました。都市計画区域に入っていないところでも市町村長が再生計画をつくれば、それにもとづく建物の除却と計画作りに対して補助が出る制度です。そこで、第三セクターの会社をつくって、一回その会社に全員の建物を売って、敷地の線を引き直して、再開発して元の持ち主たちに売る、ということをしました。新しく入りたいという人もいれば、「うちは跡取りがいねえんだ」という人たちもいましたので、人の出入りを調整しやすいうまくできたやり方でした。環境省はそこに歩道と広場とビジターセンターを再整備して、役場は町道を再整備するということをいっぺんにやりました。今のところ国立公園の利用拠点の民間も含めた総合的な再整備はここしか成功していません。 

――層雲峡の成功要因は何だったのでしょうか?
 その時うまくいった要因は、地域の人が「ぜったいにやるんだ」という強い意思をもっていたこと。もうひとつは行政が、北海道と上川町と環境省が協力してバックアップするぞ、ということで意思統一できていたことが考えられます。あとはもう人間関係ですね。その時「ある程度組織の責任者が直接現場と話してその場で物事を決めて行くというやり方がいいなあ」と思いました。私はただのレンジャーだったのですが、もうクビ覚悟でですね、いろんなことを上司の確認をとらずに「やりますやります、もう全部やっちゃいます」と約束しちゃって(笑)、下手したらクビがとんでましたね。でもそういう風にしたから、信頼ができていったのだと思います。行政が計画をつくって、その上で住民の意見をきくというやり方では、住民から遠いのではないかなと思います。層雲峡の件に関わった人たちは今でも、もう10年以上たっていますが親友みたいな状態が続いていますね。そういう関係になれるかなれないか、そのためには直接会って話をしていくのがいいと感じています。これがそもそもPIに関心を抱くようになった経緯です。

■ 長崎県九十九島でのパブリック・インボルブメント

――パブリック・インボルブメントという言葉は、いつから使いはじめられましたか?
そのあと、私は一度東京に戻り、長崎に行く事になります。そのときちょうど、西海国立公園九十九島地区の再整備の全体計画をつくるということになって、それをPIでやろうと考えました。九十九島をやる時点で、インターネットをぽけっと見ていたらPIという言葉をみつけて、調べてみたら「要するに俺がいままでやっていたことだな」と思って「こんなかっこいい言い回しがあるならこれを使おう」と(笑)。県の予算要望をする時に、政策の目的や必要性、事業のやり方、といったことを担当課長がプレゼンテーションするんですが、そこで「パブリック・インボルブメントでやりましょう。住民を巻き込んで計画作りをしていくことです」と説明したら、知事から「じゃあそれでいけ!」ということになりました、結構すんなりと。ですから、この件に取り組むまでPIという言葉は知りませんでした。
 計画作りは長崎県の自然保護課の仕事でした。私はそういう仕事が好きですし、責任者が自ら行った方が話が早いと思い、直接私がやりました。コンサルタントには一緒に資料のまとめとかを手伝ってもらいましたが、切り回しは自分がやりました。今、地方行政は責任者が現場で積極的にやれという方向になっていますし、別に自分だけが特別だというわけではなくて、こういうやり方が好きな人はいると思います。
 この案件の場合、公園計画の下での総合的な整備計画として、自然公園利用拠点新活性化事業という5年から7年、総額30億-50億程度の予算執行上のスキームを使って整備するための計画をつくることになりました。まずは事業が採択されねばなりませんから、そのための計画を作ることになったんですね。この公園計画を元に、どのような事業を展開したくて、そのためにはどんな施設をどこにつくるのが効果的か、という事業実施計画を県が作ったわけですね。

――具体的にはどのようなことをなさったのでしょうか?
 層雲峡の時は20軒30軒くらいの話で、数はたいしたことはないけれども利害が複雑だったので、その調整が計画作りの中心でしたが、九十九島の場合はもっと広い範囲の話で、市民や漁民ひとりひとりにしてみれば直接大きな利害があるわけではなくて、漠然としていました。層雲峡のように生きるか死ぬか、ではなくて、地域をみんなでどうしていこうか、というものでした。これをPIでやろうとした時の問題は、みんなの関心があまり強くないということです。だからこっちから乗り込んで行かなきゃならなかったんですね。ただ九十九島は、佐世保市という24万都市の近接地、車で10分程度のところで「こんなに綺麗なところに我々は住んでいるんだ」という誇りにもなっていました。ですから、市民としては環境意識は高くて「あんまりいじって欲しくない、島はそのままであって欲しい」というのが多くの方の一般的な感情のようでした。むしろ県が整備計画を作る時に、監視しないと変なことをするんじゃないかという逆のベクトルで参加なさる方も多かったです。それらの関心の高い人たちを何とかして呼び込みたくて、洋上会議を最初に開催しました。  募集はマスコミが取り上げてくれたほか、ミニコミ誌にも載りましたし、市役所の方にどういった地域のグループがあるのか聞いて呼びかけをしました。どちらかというと市民の多くの人を代表する関心の高い人の意見を聞く、というものでした。
一方で、漁民など直接利害のある方もいらっしゃるわけです。そういう方に対しては、例えば漁協に直接うかがって「こんなことを考えているのですが・・・」と関係者ヒアリングを行いました。あとはプラスの利害関係がある観光関係者、例えばホテルや食堂をしている方たちのところで話を伺いました。行政関係者も佐世保市だけではなくて、小佐々町、鹿町町3つの市町村にお願いして、利害関係者をリストアップしてこちらから出て行くという形をとりました。
一般の利用者はどう考えているのだろう、ということで、ホテルに頼んで宿泊者に対するアンケートをとりました。ただ、これはあまり上手くいきませんでした。ある程度こちらがプランを作ってから聞かないと、意見を言う方も戸惑うというか、雑多な意見だけが出て来たなという印象ですね。

――パブリック・インボルブメントをおこなって効果はありましたか?
 検討委員会というのも別にもうけていまして、こちらは行政と漁業、観光関係者も集めて、深い議論をしようというものでした。個別の意見聴取と2段構えですね。検討委員には公募の方も3名いました。そこで、全体としては「手をつけないで欲しい」という声が高かったんですけれども、一部には「無人島に上陸して直接自然体験をやらせたい」と考えている人たちもいて、その調整をどうするかが前半部分での課題でした。そして、計画の基本的な方向を作る時に、「島には原則手をつけない」という方針を出したんです。「手をつけるのはこういう場合に限る」とかなり限定しました。それで異論は出ませんでした。異論の出ない方針を出せたのは、PIで色んな人の意見を聞いていたからだと思います。こういう計画を建てれば、こんな反応があるだろう、というのが頭の中で大体描けていたんですね。皆さんの予想される反応を念頭に置きながら計画をたてて、議論していただいて、それで進めていきました。
 国立公園の整備計画で問題になるのは「保護と利用とは両立するのか」ということです。特にマスコミでは、その対立構造が強調されがちです。必ずしも調和しないのは確かなので批判されることは仕方ないのですが、調整が難しいことをわかった上でどうしようかということを議論しているわけですから、ただ対立があると批判されてそれが全てだと市民の方に理解されるのは困りますね。一般に、こちらが情報を出さずにやっていると、マイナスのバイアスで見ている人たちに勘ぐられる可能性が高いわけです。この時も対立を強調した記事が一度出ましたが、それで終わって大きくはもめませんでした。なぜかというと、すでに多くの人の意見を聞いていたからですね。「私の意見は自然保護課長に言ってあるし、課長の意見も基本的には私のと違わないはずだから」とわかってくれていたので、新聞に出てもその後の騒ぎにはなりませんでした。それがPIのひとつの効果だと思います。また、「県は勝手にやっている」という記事は書けないですね、検討委員会もすべてメディアに対してオープンでやっているわけですから。変な勘ぐりは出てきませんでした。

■ メーリングリストの威力

洋上会議で、集まった人たちに「メーリングリストを作るので参加しませんか」と呼びかけたんです。これが威力を発揮しました。何人か積極的に意見を書いて下さる方がいて、それに必ず私が返事を書きました。だから、参加者の方は、県がどういう方針でどういう計画で、そして課長がどういう思いで進めているか、というのが丸わかりだったんです。メールで議論しながら「そのアイディアいただき」という形で計画に反映していったので、参加していたメンバーは「自分たちが計画をつくった」という意識を少なからず持っていらっしゃるのではないでしょうか。また、県が整備した施設は佐世保市の方に運営を委託するという形をとりますので、その後の運営についても見守っていってくれる方がいらっしゃると思います。
 この時苦心したのは、こちらが考えていることとずれている意見が出てきた際に、どういう風に反応するかということでした。こちらの持っている情報とあちらの持っている情報は違うので、必ず誤解が生じるんです。こちらの考えていることに近寄ってもらうよう説得するというよりも、こちらが持っている情報をできるだけお渡しして、だからこうではないでしょうかと言った方が、納得していただけます。こっちから向こうが知らないだろうと思われる情報をどんどん出すのです。
メーリングリストはコンサルタントの方が提案してくれたものです。だいたい30人くらい参加していましたが、しょっちゅう書いてくれる方は6人くらいでしたね。でも、ただメーリングリストを作るだけでは上手くいかないと思いますね。返事はきちんと書かないといけないし、誰も書かないときには自分が投稿したり。だからある程度時間がないと難しいですね(笑)。

■ 経験から学んだこと

――どうやってPIを勉強されましたか?
 これまで参考にした事例というのは特にありません、開拓者ですから(笑)その時その時に体当たりでやったことが糧になっています。

――リーダーシップのあり方についてどう思われますか?
 以前、サーバントリーダーシップ(servant leadership)という言葉を聞いたとき「これだ!」と思いましたよ。リーダーシップというのは「こうだ」と方針を決めてみんなをひっぱっていくという風に思われがちだけれども、そういうリーダーシップは最終的にうまくいかないのではないか。参加する人ひとりひとりの意識を、いかにその課題に乗っけて行くか、一生懸命気を使って、お膳立てしてやっていくのがリーダーの役目だな、と思っています。
 また、市町村の役場の方はどういう住民がいて、どんな考えがあるかというのをよくご存知なので、PIをやろうと思ったらそういう自治体のパワーを十分活かさないといけないと思います。私たちは紙一枚で異動してくるので、地域にずっといる方の知識が重要です。

 

――中島さんの考えていらっしゃるPIは、「パブリック・インボルブメント」だけではないように思います。
 そうですね。PI-Forumの定義で言えば、「パブリック・インボルブメント」と「パブリック・イニシアティブ」両方を含んでいますね。九十九島の時、市民の方に言われたんですよ。「パブリック・インボルブメントは古い。」、「行政は市民を巻き込むなんてそんな思い上がったこと考えるな、市民が行政を巻き込むんだ。そういう風にならないとホンモノではない。」と。それは佐世保のミニコミ紙の編集長の方でした。一般的に田舎では、市民が行政に依存するパターンが多いので、市民から提案して行政を動かすということはあまりなく、どちらかというと陳情というイメージですね。でも、佐世保市には独自に提案できる力を持っているグループもあったと思います。また、東京みたいな大都心になると地域の問題には無関心になりがちですね。やはり、中規模の都市に市民が行政を動かして行く土壌があるんじゃないかな、という気がしますね。

――行政が住民を巻き込んでいくことが必要となることもありますか?
PIはもう古い、というような人は市民の中でごく一部です、そうではない方もいっぱいいらっしゃる。表に自分から出てこないような方たちにも参加してもらおうと思ったら、それはもう色んな手を使わないといけません。その中のひとつにはマスコミによる情報発信というのもありますね。考えるきっかけを持たせるようにする工夫をした方がいいですよね。九十九島の時も若干これを意識して、ミニコミ紙の方に2名参加して頂きました。私たちの取り組んでいることなど、それぞれ一回ずつ記事を書いて頂いて、伝える事ができました。

――環境省の自然公園関係で、他にPIを試みた事例はありますか?
 乗鞍の再整備計画もPIでしたが、最終的には合意に至りませんでした。層雲峡の場合は地域の人の間で「やることは絶対やるんだ」と合意が既にできていました、あとはどういう風に誰がやるかを決めて行けばよかったんです。乗鞍の場合はやるかやらないかも含めて合意していたわけではなくて、環境省が整備しませんかというのを持ちかけて、整備するには土地を売ってもらわないとダメなのでその合意をするのが目的でした。実際色んな方が参加して議論はしたのですが、やっぱり土地は売らないよ、と。というのは計画作りに参加した人と、土地を持っているのが違う人たちだったからですね。層雲峡のように20人30人でみんな集まれるという状況ではなく、地権者の方が沢山いらしたので、そこは方法を変えなくてはならなかったですね。表舞台だけで話していたので、キーパーソンをちゃんと見据えて進めるべきでしたね。最後に、住民投票で否決されてしまいました。ちょっと考えれば利害関係者というのはわかるはずです、土地に関してか、生業に関してか、特定してこちらから乗り込んでいけばいいわけです、表に出て来ないような人たちのところへ。

■ PI-Forumへのメッセージ

住民を巻き込んでという方向性でやってみたいと思っている行政の人も多いと思うので、様々な事例を集約し、分析して、「こうすると上手く行くのではないか」と発信してもらうと、やりやすくなるのではないでしょうか。

(取材:浅古尚子、飯島裕希)

(2004年10月5日発行 PI-Forumメールマガジンより)


 

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