異分野PI交流ワークショップ:
第1回:トークセッション・ファシリテイターの役割を考える
司会:梅本 嗣 (PI-Forum理事/ 株式会社博報堂 勤務)
パネリスト:
浅海義治氏(〔財〕世田谷区都市整備公社まちづくりセンター)
堀 公俊氏(日本ファシリテーション協会 会長)
矢嶋宏光 (PI-Forum理事/〔財〕計量計画研究所 勤務)
ご周知の通り、ファシリテーションは、ビジネスからまちづくりまで、 多様な領域で問題解決・合意形成の技術として紹介されてきています。 しかし、「ファシリテーターの役割」についての整理が出来ているとは言 いがたい状況ではないでしょうか。 そこで13回目にあたる今回は、ビジネスや社会的課題の合意形成の現 場、エンパワーメントを要する現場等でのファシリテーターのあり方・ 役割、さらに「プロセス設計」と「場のマネジメント」の関係性、等に ついて、異分野でファシリテーションを展開なさる三名をお迎えして、 視点の交換を目的としてトークセッションを開催いたしました。以下、 当日の議論をご紹介いたします。
1.パネリストの問題提起
まず、各パネリストの方々はどのような場・立場でファシリテーショ ンに関わり、どのような問題意識をお持ちなのか、お話いただきました。
【 矢嶋 宏光:PI−Forum理事 / 〔財〕計量計画研究所 勤務 】
●ファシリテーションとの関わり:インフラ計画に関わるPIで
勤務先では、交通政策やインフラ整備に関する分野で、主に国や自治 体の行政業務を支援している。昨今、国や自治体では、道路や河川など でパブリックインボルブメントを導入し始めた。ところが、それ以前に
行政に対する風当たりが強まっており、事業説明会などの場で紛糾する ことも少なくない。こうした行政への反発が、皮肉にも、ますます彼ら の身を硬くさせている。そもそも説明会は一方的な説明に終始するのが
通常で、意見を聞いてもらいたい側の市民が反発するのは必然的だが、 多くの現場では、むしろ説明をより強化しようとして、さらなる反発を 招いている。こうした問題は、ファシリテーションを導入するだけでか
なり改善されるのだが、多くの現場では、ファシリテーターの存在さえ も知らないというのが現状。
●問題認識1:プロセス(すすめ方)とコンテンツ(内容)の分離を
これまでの説明会では、行政は議題に関わる情報提供の役割を担うだ けでなく、会議のプロセス(すすめ方)についても行政が一方的に管理 している。そのような会議のすすめ方にこそ、市民は疑念を感じている。
まさに、市民に意見を言わせないためにマイクを取り上げていると。フ ァシリテーションでは、プロセスと内容を明確に区別して捉える。説明 会の主催者としてのイニシャティブは行政に残すとして、会議のプロセ
ス管理(すすめ方)についてはファシリテーターに預ければ、より実質 的な議論が可能となって、会議の結果も相当違ってくる。ちなみに、技 術的情報も、疑われるなら、その筋の専門家に委ねればよい。
●問題認識2:ファシリテーションの技術普及や人材供給が足らない
会議におけるプロセスとは、会議のすすめ方のルール。プロセスを管 理せずに会議をするのは、ルールのない泥仕合をするようなもの。よく、 ファシリテーターをサッカーの審判にたとえるのだが、サッカーの審判
はルールを管理するだけで得点しない。当然、時間も管理の対象で、審 判の権限は絶大だ。ルールがなければ、審判は邪魔者以外の何者でもな く、審判がいないとフェアにプレーされない。また、審判が勝敗に、つ
まりゲームの内容に関わるようなことをしたら八百長ゲームになってし まう。
最初にファシリテーターの役割が合意され、参加者に信任されること が必要。サッカーの審判と同じように会議内容には関与せず、予め決め たルールや時間を管理し、そのことに専念するならば、色のない黒子の
ような存在となり、第三者性が自然と発揮されるようになる。 公共事業でファシリテーションへのニーズは潜在的には非常に大きい。 ファシリテーションが実務上のスタンダードとなるには、まだまだ技術
の普及や人材の供給が足らない。今後、ファシリテーションが広まり、 公共事業がよりよい公正な形で進むようになっていくことを望んでいる。
【浅海 義治氏: 世田谷区都市整備公社まちづくりセンター勤務 】 ●ファシリテーションとの関わり:まちづくりの現場で
まちづくりセンターに勤め、ワークショップ(WS)やファシリテーシ ョンの技術開発や実践を行っている。 ファシリテーターのとらえ方は多義的。狭義には会議やWSの進行役を
さし、中立性が要請される。より広義には、プロセス全体のコーディネ ーターのような存在をさす。広義に捉えた場合、中立性はありうるのか が難しい問題となる。プロセスのコーディネーターの仕事としては、以
下のようなものがあげられる。
1)プロセスの設計−誰の参加を求めるか。参加者にどこまでの決定 権限を与えるか。
2)運営体制−呼びかけ主体は誰か。行政、住民、協働の仕組みをど うするか。
3)参加手法−無関心層にどう対応するか。アウトリーチや情報提供 をいかに組み合わせるか。
現場では、狭義・広義の両方をやっている。アメリカで学んだコンサル ティングの手法をベースに、それを工夫して日本に適用している。
●問題意識:各人の「参加」に関わる動機の明確化が必要
各々が理想とするファシリテーター像を明らかにするためには、各々 の人が参加に関わる理由・動機・目的意識を明らかにすること、「なぜ参 加をとりいれるのか?」という問いに答えることが必要だろう。
自身が参加に関わる動機としては、住民・行政・専門家といった様々 な人の相互学習やコミュニケーションが、より良いまちづくりには不可 欠と考えており、単に合意形成できれば良いとは思っていない。人と人
との関係、人と環境の関係、人と社会の関係、それらの関係の再構築が 必要であると考えている。それゆえ、まったく中立な(無味無臭の)フ ァシリテーターではなく、関係を再構築し社会を改善していくこと念頭
においている。
● 問題提起:もっと広義にファシリテーターを捉えてみては?
現在のまちづくりにおいては、自分の地域環境に愛着をもって見守り、 育てていくことが求められている。それに資することがファシリテータ ーに求められており、参加者の勝手な議論に任せるわけではない(「桜丘
すみれば自然庭園」のビデオを上映)。
様々な人の関わることが良いまちづくりには必要で、それゆえコミュ ニケーションが不可欠となる。その際に注意している点は、
1)誰がどのような役割を果たすかを考えること
2)単なる利害調整ではなく、異なる意見を異なる意見として認めつ つ、より良いものを作り出す、創造的な解決をめざすこと(足し 算の発想)
3)現場主義、総論ではなく具体的に議論すること
4)参加者の自己実現に役立つような全体運営。管理の発想ではなく、 育てる発想、改善を模索する実験的な発想を導くようなWSを行う こと。
これによって、硬直したパブリックの概念ではなく、地域に合ったパ ブリックの概念を作り出していこうというのが自分の立場。
すでにプロセスが出来上がり、やれることが限られたような状況で、 会議の運営だけを頼まれることだけがファシリテーターの役割ではない はず。役割を広義に捉えてはどうか。
【堀 公俊氏: 日本ファシリテーション協会会長 / 一般企業勤務】 ●ファシリテーションとの関わり:きっかけは会社の会議
ファシリテーションというものを体系的に習ったことはない。勤務先 企業で、会議の議事録を作成するために、会議の結論を確認しようとし たところ、そこでまた議論が再燃してしまった体験から、社内の会議で
ファシリテーターのようなことを行うようになった。その後、まちづく りに参加するようになってから、ファシリテ−ションという言葉を知り、 技術として意識した。自身が関わったまちづくりは、集まった人(約1
00人)で自由にやって半年間で何らかの結論をだすという、ビジネス と比べてかなりルーズなものだった。そこでファシリテ−ターを務めた のだが、ビジネスの手法はあまり通用せず、試行錯誤を繰り返している。
著書の『問題解決ファシリテーター(東洋経済新報社)』24ページの図で 示した通り、自身は問題解決・合意形成型の分野のファシリテ−ション を実践している。
●問題提起1:ファシリテーションの難しさ−ビジネスとまちづくりの差異
1)メンバーの凝集性
異文化度、意思の一致度、メンバーの数などが異なる。ビジネスは 近い人の世界だが、まちづくりは参加者が多様で難しい。
2)ランクの有効性
ビジネスでは権威(ランク、ポジション・パワー)の力が働くが、ま ちづくりではそういうものが少ない。まちづくりでは、「ファシリテー ターである」ということが一つのランクになる。それにはメリット・
デメリットがあるが、それをいかに使うかは難しい。
3)どこまで関与してよいか?
ビジネスのファシリテーションの目的は明らかで、チームが出せる 最高の結論にいかに早く到達できるかが勝負である(ワークアウトな ど。時には落し所を用意しておくことさえある)。
一方、まちづくりでは、目的自体を探すという面があり、結論を出 すことが目的とは限らない。また、時間制限もルーズであり、必要な 時間も長い。まちづくりでは、成果だけでなく参加者の満足度が重要
になる。
「時間」と「成果」と「満足度」のバランスが難しい。
4)必要な技能
ビジネスのファシリテ−ションでは技術、経営、体系的、形式知、 論理的といった左脳的な技能が必要とされるのに対し、まちづくりに おいてはアート、芸術、暗黙知といった属人的なノウハウが必要とさ
れる。これからは、両者を組合せることを考えるのがよいのではない か。
●問題提起2:ファシリテーターの交流の不足
ファシリテーション業界は縦割りになっており、分野や団体の枠を超 えた交流が少なく、技術確立ができていない。問題としては例えば、1) 大学で体系的に学んでいる人が少ないこと、2)アメリカの影響が強く、
日本独自のファシリテーションが発展していないこと、3)一般の認知 度が低く、普及・活用が遅れていること。人材紹介センターのようなも のがないこと、4)ニーズとシーズの不一致。ファシリテーターは半プ
ロ・半ボランティア的な存在で、依頼者とファシリテ−ターとのコスト認 識が合わないこと、などがある。
そのような状況を改善することもねらって、日本ファシリテーション 協会を立ちあげた。[註:現在NPO法人認証申請中] 様々な分野のフ ァシリテ−ターがメンバーとなっているが、様々な分野の人が交流して
技能を互いに高めあい、それを公開して社会に還元していければよいと 考えている。
【梅本 嗣(司会) PI−Forum理事 / 株式会社博報堂勤務 】
自身のビジネスの現場で、社内や対顧客に対しプロジェクト・マネジ メント、プロセス・マネジメントを担当することが多い。中身もだが、 会議の段取りなどを考えながら、プロジェクトの推進方法などをが詰め
ていくことが多い。他には、マンションの管理組合のマネジメント・合 意形成や、Jリーグのサッカーチームの再建プロジェクトにおける合意 形成に関わって来た。「公私」の舞台の知恵を融合し、あれこれと活かし
て来た感がある。
2.パネリストのディスカッション
各氏の経験、問題意識・提起をもとに、パネリスト同士での意見交換を しました。
【ファシリテーターの中立性とは?】
梅本:
会議の運営などでは中立性が要請される面がある。一方で、プロジェ クトの推進などにも関わる場合など、「そもそも中立でありうるのか」が 疑問となることもある。中立であるとはどういうことだろうか。
矢嶋:
最初に中立性とプロセス管理について述べたが、プロセス管理には、 個別の会議のプロセスと、政策や計画の全体のプロセスと二つのスケー ルがある。どちらも管理者の中立性が課題になり得る。先ほどお話した
のは個別の会議についてだ。内容(コンテンツ)と進め方(プロセス) の区別が重要だと強調したが、進め方に特化すれば自然と中立的存在と 見なされるようになる。また、会議でのファシリテーターの役割が参加
者に最初に理解されることが大切。環境など生命・身体に関わるシビアな テーマになると、第三者性が特に問われやすく、当事者の合意でファシ リテーターを選定したり、ファシリテーターの調達資金を当事者双方か
ら支出するなどの工夫が必要。
堀氏:
中立性には、1)コンテンツに対しての中立性と、2)プロセスの中 立性との二つの局面がある。
1)コンテンツに対しての中立性
会議の全体像からみて、内容が中立的でなければならない。(例えば、 右の人と極右の人との間で中立であっても、それは内容の中立性を保て ていないだろう)。
2)プロセスの中立性
いかに公平なプロセスを実現するか、という意味での中立性。その場 で共有されているルール・規範にしたがって運営することが必要で、自 分はルールについては厳格に運営するようにしている。グランドルール
を個別に定める場合などもあるが、最も基本になるのは民主主義のルー ル(決まったものを覆さない等)だろう。
浅海氏:
まちづくりの現場では、個人のエゴが強く出る場合、カウンターバラ ンスを保つよう、表れていない意見を引き出すようにしていく(堀氏の 内容に対する中立性に近い)。それゆえ、無味無臭ではなく、その場の議
論の内容に応じて欠けている意見を引き出していく。ただし、ファシリ テーターが公正な立場ですべての意見を見ることができているのかどう かは難しい問題。
【ヒエラルキー組織の中でのファシリテーターの役割】
梅本:
プロジェクトの推進やそれに伴うリスク管理は、本来は上位のプロデ ューサーやマネジャーが担うはず。そのような縦の役割分担がある中で、 ファシリテーターはどこまで役割を担うのか。また、会議の成果をいか
に現場にフィードバックし活かしていくのか、ということも問題となる。 外部から中立の人が来ているのならば、内容の中立性も保ちやすい。 しかし現実には内部の人がやることが多い。そして、内部に所属するフ
ァシリテーターが議論に欠けている視点に気付いてしまった場合、それ を言ってしまうのはルール違反だろうか。
浅海氏:
「欠けている視点についてどう考えますか?」と視点の提供をするこ とはある。
矢嶋:
ファシリテーターの立場から降りて議論の内容に参加していくことも ある。ただ、内容に集中している人には誰かが別世界から突然ワープし てきたように思える。必ず、「断りをいれる」ことが大切。ファシリテー
ターはあくまでも補佐役でマネジャーなどとは違う。
3.フリーディスカッション(会場からの意見も交えて)
【行政のプロセスデザイン像への意識】
参加者A氏:
審判に例えて言うなら、一方のアドバンテージを踏まえて、流れの中 で試合を盛り上げていくことが必要ではないだろうか。 参加の場においては、住民のエゴではなくパブリックな意見を引き出
すことが求められている。採用されなかった意見に対しても納得を導け るよう、全体の経過の中で公平な判断を積み上げていくようにプロセス をデザインする必要があるのではないか。「一つひとつの会議とプロセ
スデザインとは別」と矢嶋氏はおっしゃったが、行政もプロセスデザイ ンに踏み込むべきではないか。
また、都市計画などスケールの大きいものでは参加の度合を高めるこ とは難しいとしても、課題ごとに適切な参加の段階というものがあるは ず。理想としては、住民の参加の度合を高めていくことが必要ではない
か。
矢嶋:
プロセス全体の中で参加をいかに組み込んでいくかを考えることは必 要だ。参加の重要性に対する行政の認識はまだ低く、参加の効用を強調 している段階。大規模プロジェクトで参加を提案しても、行政が躊躇す
ることが多いのが現状。参加できる範囲は限られているなかで、やらな いよりましということでやっている。行政側としては"乗っ取られる"こと を危惧する部分もある。任せてしまって行政側が困るような結論が出さ
れた場合に、立場上、責任問題となることも危惧されるのだろう。でも 行政の思う方向に操作すべきことだろうか。win-winを目指すのが本来で、
理解が進めば将来は違ってくるはず。
梅本:
行政の認識は、住民に決定権を与えるわけにはいかないが、意見を聞 きそれに応えていくことも大切だ、という概念レベルの意識水準段階な のではないだろうか。
【行政と住民との関係】
梅本:
行政は強力なアクターであるため、住民と対等な議論が成り立つよう にするためにはファシリテーターがかなり住民側の論点の引き出しに一 役買うことになるが、肩入れをしていくとファシリテーターがファシリ
テーターではなく住民側の一員になっていってしまう。一方で行政の手 続き通りに進めると、行政が強すぎてしまう。これは情報整理・ロジカ ルな提示への準備や総力の差から生まれる構造だ。
そのような中で、行政は、自らプロセスに中立に進めよう、という努 力をしている。その積み重ねにより住民と信頼関係を築いきやすいかた ちが見つけ出せるのではないか。
浅海氏:
確かに住民が意思決定をすべてやるというのは非現実的だ。しかし、 現在はそもそも意思決定に対する住民の役割がはっきりされていない。 どのようにして決定されるのか、その土俵が明らかでないため、何が求
められていて、いかに動いたらよいのかわからない。住民に求める役割 を明示して始めることが必要。役割を明示されて、「そんなものは引き受 けない」ということも出てくるだろうが。
堀氏:
行政が住民を呼ぶのは流行りだが、誰が意思決定し、どんな条例にな るのか、そういうことが明らかになっていないとファシリテーターはや りにくい。何でもできるような雰囲気で意見を言わせておいて、出来上
がってから行政が判断して、「やはりできない」というのでは衝突が起こ る。パートナーシップ協定などの試みがあるが、行政と市民のルール作 りが必要だろう。
参加者B氏:
情報の非対称性や参加の偏在など、初期条件がよければ問題にならな いことまで、ファシリテーターが現場で担わされているように感じる。 条件が悪い中で、いかに公平を実現するかという問題で、実はファシリ
テーターの中立性の問題ではないのではないか。
【縦割りのファシリテーション業界自身の問題】
浅海氏:
まちづくり系ファシリテーションは時間にルーズな場合が多い。「結 論が出なくてもやっていること自体に意味がある」、と言う人もいるが、 目的探しのケースと結論を出すべきケースとの混同が見られるように思
う。
また、ファシリテーターごとに流派のようなものがあって、以前の人 と違う手法でファシリテ−ションが行われると、「お前のは何か違う」と 言われたりする。縦割りは住民の誤解や混乱の一因ではないか。
梅本:
ファシリテーター業界の縦割り、つまり横の相互作用や役割論ととも に、「ファシリテーター」と「彼を招いた人[;依頼者]」との交渉も問 題が多いのではないか。
【行政とファシリテーターとの関係】
参加者B:
行政職員にファシリテ−ションを頼まれたが、その行政職員がイメー ジしていたファシリテ−ションが大したものではなかった場合に、とり あえず引き受けて、そのイメージを超えるものを確信犯的に提示してい
くこともあるのだろうか。
浅海氏:
行政職員の多くは、ファシリテーターは会議を上手にまとめてくれる 人という程度の認識しかなく、まだファシリテ−ションのイメージを持 てていないのではないか。
行政のプランが良くない時、WSなどを行い、より良いプランに改善 し、それを受け入れていかざるを得ないような状況を作り出すことは考 える。
参加者B:
現状は理想的な参加とかけ離れており、まずは、議論のできる場をい かにして作りあげるかがファシリテーターに求められている。その際に は、住民への情報提供などが不可欠となるが、住民にどこまで肩入れし
てよいのかが、やはり問題となる。
堀氏:
行政職員でもファシリテーターになることは可能。コンテンツについ ては理解があるのだから、プロセスに中立になり、住民からの信頼を得 ることができれば可能である。「行政寄り−住民寄り」といった、二分法
の議論ではもったいない。
【日本型ファシリテ−ションの可能性】
梅本:
日本の社会にふさわしいファシリテーションのあり方、言語的対話の 限界ということを視野 においたファシリテーターのあり方といった観点からの問題提起をいた
だきたい。
矢嶋:
ファシリテーションの前に合意形成の仕組みについていうと、我が国 の古来からの合意形成の仕組みについて、東工大の桑子敏雄先生が研究 なさっている。例えば、争いの当事者の代表者を寺に集めて協議し、決
定は代表者に委ねられ、当事者グループは代表者が決めたことに従うと いった仕組みがあったりする。
今、日本に紹介されているパブリックインボルブメントの考え方や方 法論は、アメリカで生まれた交渉学という学問がひとつの基礎となって いるが、それは70年代の司法改革をきっかけとして、裁判の前に解決
する方法がないかという疑問から始まった。その際、各国の様々な社会 に現存する合意形成の事例を集め、その共通点を研究し、理論化すると ころから交渉学が生まれた。現在、我々が今学んでいることは、実は日
本社会にあった合意形成の仕組みもブレンドされて発展してきたものだ とも言える。
堀氏:
現在は、ファシリテ−ションが言語的なものに偏っている。ボディ・ ランゲージに注目するなど、もっと多様なファシリテ−ションの方法が あるはず。また、敵・味方の二項対立的な見方をする必要はなく、マル
チな日本的な(多神教的な)ケースの処理の仕方もあるはず。
自分がファシリテーションをする際には、人の顔を観察するというノ ンバーバル[非言語]の情報把握にかなり注意を払っている。
浅海氏:
自身が関与するWSの現場でも、言語に限らず、ノンバーバル・コミ ュニケーションも行われている。
参加者C氏:
多様な人々が流入した都市では、伝統的なつながりが薄れており、だ からこそ、マニュアル化されたアメリカ型のファシリテーションが使わ れるのではないか。日本の伝統を活かすというのは、どういうことだろ
うか。
浅海氏:
自身はアメリカ型をやっているつもりはない。「旗上げアンケート」な どは、日本の方が盛んではないか。
堀氏:
アメリカ的な考え方は、フレームを作り、その中で合意形成していく という、機能的な考え方にたっているように思う。日本はもっともやも やした「空気」の中でやっているように感じる。KJ法などは、やって
いて気恥ずかしい感じ・違和感を生む。アメリカ型が日本に馴染んでい るのか疑問を感じる。
浅海氏:
それでは意思決定の明確さから離れていってしまうように思われるが。
堀氏:
それがいいというわけではないが、その違和感を活かしていけないも のだろうか。
矢嶋:
アメリカ人にも、WSで使われるお楽しみ系のコミュニケーション方法 は、気恥ずかしいと言っている人もいる。アメリカ型というのはステレ オタイプな捉え方では。
梅本:
参加者間の対人関係性づくりのあり方が、日本と欧米とでは違うので はないか。気恥ずかしさや、会議で失敗してもその後の飲みに行ったら 次にうまくやれたといったことは、都市と田舎で差はあるにしても、日
本の特性として残っているのではないか。
浅海氏:
確かに「空気を読む」という雰囲気は残っているように感じる。WSな どをやってきても、最終的な結論をだすときには、その場の空気が支配 するといったような。
梅本:
コミットメントの程度が強いことも要求されるのではないか。例えば、 サッカーのサポーターでの事例だが、どんなに議論が上手な人でも、毎 試合見に来ていないと、なかなかその人の意見は通らない。説得・交渉
の技術よりも、場への参画度・コミットメントの強さで判断される面が ある。
【PI(パブリック・インボルブメント)とファシリテーションの関係性】
参加者D氏:
PI(パブリック・インボルブメント)は、周到に準備され、情報提 供・フォーラム・アウトリーチなどがなされるもので、スパンが長い。 日本ではプロセスを企画するのは行政で、その中の一部をファシリテー
ターが請け負っていると理解している。行政、特に中央官庁には「自分 が決める」という意識が強く、ファシリテーターの機能を官僚にわから せないと進まないという面がある。そのような中で、行政はファシリテ
ーターに何を期待しているのだろうか。
また、アウトリーチなどを含めて、ファシリテーターがどこまで担う のか。例えば、オーストラリアの遺伝子組み替えの事例では、ファシリ テーターが4年間のプロセスのすべてをマネジメントした。その人自身は、
自分のことをコーディネーターと呼んでいた。
PIとファシリテ−ションとは別次元のもので、PIの中に階層的に ファシリテーターを組み込めていく余地が存在している。しかし、日本 の官僚は自分が優秀だと思っており、どこまでファシリテーターに任せ
ることができ、そしてそれを受け入れることができるのか、ともかく聞 くことが大事でそれだけでよいと思っているのではないだろうか。契約 の時点で注意深く相談しないと、行政のファシリテーターに対する期待
と、ファシリテーターが実際に担う役割とにズレが出てくるのではない か。PIとファシリテーションの関係についてどう考えるか。
矢嶋:
まず、何をファシリテ−ションと言うかは人によって定義が異なる。 自身は、会議のファシリテ−ションについてはなるべく地元のファシリ テーターに任せるようにして、全体のプロセス・マネジメントを手掛け
るようにしている。その両方ともファシリテーターと呼ぶのは難しい。 行政職員には、「どうやったらよいのか」という困惑と「素人に任せら れるか」という意識とがある。私は、ファシリテ−ションのツールをこ
のように使えば上手くいくといった小さな提案を通じて、プロセス全体 が大きく革新されればいいなと思っている。PIのプロセスデザインの 中で、それを試みていると言える。
【ファシリテーションへの期待−新しいパブリック概念との関係で】
参加者E氏:
行政とNPOとの協働を手がける際に、問題となるのはやはり共通の ルールである。パートナーシップ、市民側のリテラシーなど、共通のル ールがないと困る。新しいパブリックということでパートナーシップに
ついての意見を聞きたい。
浅海氏:
与えられたパブリックではなく、自分で再発見・再定義するパブリッ クが必要となっている。そのために参加が重要であり、参加の場におい て多様な人々を結びつけていくのがファシリテーターだろう。
堀氏:
日本は元気がなくなっていると言われるが、力がないのではなく力が うまく合わさっていないように感じる。それを繋げていけばよくなるの ではないだろうか。今の日本に、人々の意識の面でパブリックというも
のがあまり無いように感じるが、その行き過ぎを是正していく流れが出 て来ている。パブリック概念を人々が持つことが求められているが、フ ァシリテ−ションによって人々を繋げることがそれに貢献できるだろう。
梅本:
ささいなことが理由で公聴会に参加してくることがある。誰もがいつ かパブリック・イシューに関わるきっかけがあるはずだ。そこで「また 来たい、関わりたい」と思わせるような場であることが重要。人の関心
を集めることからパブリックが始まるのではないか。
矢嶋:
会議でエネルギーを吸い取られていると感じる人も多いのではないか。 ファシリテ−ションを導入するということは、まさにルールを共有する ことになるので、決まるものは決まるようになり、物事が動いていく。
動き出すとスピードが上がり、深まり、活発になっていく。ファシリテ ーションを国民的に学んで共通ルールに慣れることが国全体の活力を高 める上で大事ではないか。
4.おわりに(梅本)
様々な立場の人がファシリテーションを行っている。それぞれの人が、 どのような場で、どのようなスタンスでファシリテ−ションを行ってい るのか、その認識論が必要だという最初の問題意識について少々議論を はじめられたと思う。こうした議論が、タテ・ヨコの情報連携をさらに 進める視野の交換への第一歩になれば幸いである。
〔文責:PI−Forum異分野ワークショップ企画チーム 飯島裕希/浅古尚子/梅本嗣〕